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大阪地方裁判所 昭和30年(ワ)173号 判決 1957年12月09日

原告 井上直子

被告 大淀交通株式会社

主文

被告は原告に対し金四十五万円を支払うことを命ずる。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分しその一を原告その余を被告の負担とする。

この判決は原告において金十五万円の担保を供するときは原告勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。

事  実<省略>

理由

一、原告が井上吉隆及井上ミキの長女で本件当時五歳の幼児であつたこと、被告がタクシー業を営む会社であること、昭和二十九年七月二十六日午后〇時二十分頃被告の被用者である自動車運転手田辺強の運転する自動車が原告の肩書住所地前道路上において原告に衝突したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第十二号証、原告法定代理人井上吉隆尋問の結果によつて真正に成立したものと認める甲第五号証、証人白壁武弥の証言及同証言により真正に成立したものと認める甲第一乃至第三号証によれば、原告は右事故のため右側頭蓋骨亀裂、右側頭部並に顔面挫滅創、頭部顔面両側上肢打撲擦過傷をうけたことが明らかである。

二、そこで本件事故につき訴外田辺強の過失の有無を考えてみるに成立に争いのない甲第四、第六、第七号証に証人田辺強、福永恵子百合野月枝の各証言及び検証の結果を綜合すると、本件事故発生の現場は東西に通じる幅員約五米六十糎の比較的交通量閑散なコンクリート舖装道路で該道路をはさんで南側に原告の自宅北側に私鉄関西地方連合会本部があるが当日は私鉄ストの解決の前日に当り田辺は同日正午頃業務上普通乗用自動車大三―二〇六一一号を運転し右私鉄関西地連本部へ産業経済新聞及び読売新聞の記者各一名を乗せて来て道路の南端原告方入口横に接着して西向きに停車しそのまゝ右記者等の乗車を待つていたがそのうちに該自動車の前方二、三米位の所に堆積されていた隣家の工事用土砂の側で原告が友達の庄田夕起子(当時六歳)とまゝごと遊びを始め、その間田辺は自動車内の運転席で新聞を読んでいて原告らに気付かなかつたところ、同午后〇時二十分頃前記記者が自動車へ引返してきたのでこれを乗車させ、依然として原告らの存在に気付かないまゝ直ちに発車した途端原告に衝突した事実を認めることができる。

およそ自動車運転者たる者は自動車の進行中なると発車時であるとを問わず常に前方を注視して障碍物の有無を確め、事故の発生を未然に防止するよう努めるべき業務上の注意義務があることはいうまでもないところ、田辺は右認定のように停車中及発車に当つて原告らの存在を全く看過していたのであるが、両者の位置状況に鑑み原告が運転席から全く透視しえない死角に位置したものとは認め難いのみならず、幼児が停車中の自動車の直前で該自動車と戯れることすらも往々ありうるしたとゑ自動車に戯れないでも遊びに夢中の幼児は自動車の発車など全然考えないで遊ぶこともあるのだから運転手は発車に当つて危険のないように駐車中も注意を怠らず適宜万全の措置を講ずべきものであり、本件において警音器吹鳴ありや否やの点はしばらくおくとしても、田辺が駐車中新聞に読み耽つて発車するまで遂に車のすぐ前にいた二名の幼児に気付かず漫然と発車せしめて本件事故を惹起したのは明らかな注意義務違反であり、田辺に過失あることは明白である。

そして右は被告会社の事業の執行につき発生した事故であることも前認定の事実から明らかであるから、田辺の使用者たる被告はこれによつて原告に与えた損害を賠償すべき義務があるものといわねばならない。

三、よつて進んで賠償の数額につき判断する。

(一)  証人白壁武弥の証言、原告法定代理人井上吉隆本人尋問の結果及びこれにより成立の真正を認めうる甲第九、第十号証、第十一号証の二、成立に争のない甲第八号証を綜合すると、原告は負傷後直ちに北野病院において応急手当をうけた後、即日白壁診療所へ移つて同年八月十一日迄入院治療をうけ、退院後も引続き同年十一月五日まで同診療所に往診を求め或いは通院したほか、眼部にも異常な徴候が見られたので昭和三十年二月頃から約半年間大阪回生病院眼科に通院し、以上の治療費及び入院費として北野病院に金二千円、白壁診療所に金三万三千七十円、大阪回生病院に金四万二千五百七十円を各支払い、なおその間昭和二十九年七月二十七日から同年十月三十一日迄附添人として雇つた佐々木早苗に対し金四万三千二百円を支払つた事実が認められ、右はいずれも本件事故と相当因果関係がある。

たゞし原告は幼児であるから右治療費等は事実上原告の親権者においてこれを出捐したものと推認されるが、原告はかゝる治療費を要する傷害をうけたことにより財産上同額の損害を受けたというを妨げないから、事実上の支払者が原告の親権者であつても、原告から右を財産上の損害としてその賠償を請求しうると解するを相当とする。

(二)  甲第十一号証の一には看護のため佐世保市から呼寄せた親戚の永井澄子に対し通院附添費として金四万八千円(白壁診療所へ四ヶ月間月六千円、大阪回生病院へ八ヶ月間月三千円)を、又氷代として金一万二千八百円(一日平均七月八月は三百円、九月は百円)を各支出した旨の記載があるが、原告法定代理人本人尋問の結果によれば同号証は同人が本訴提起後昭和三十二年に至り大体の記憶に基き作成したものと認められ、その正確性を保し難いのみならず、通院附添費の点は「退院当初は白壁医師の往診を求め、漸く昭和二十九年十月頃から約一ヶ月間のみ原告の父又は母が附添つて通院した」旨の原告法定代理人本人の供述とも矛盾するものであり、親戚の者にかゝる多額の支払をすることはたやすく首肯し難く、他方氷代についても夏季とはいえ一日平均三百円は多額に過ぎ、氷の必要量は一日三貫目程度なる旨の証人白壁武弥の証言に照らし措信し難く他に右金額を認めるに足る証拠はないからいずれも採用することができない。

(三)  更に原告は整形手術費として金三十万円を請求するが、これは将来整形手術をうけるときに必要とする見込額であつて現実に出捐した金額でないことは弁論の全趣旨に徴し明らかであるから将来の給付の請求であり、現在ににおいて予めその請求をする必要があるとは認められないのみならず、原告の外傷は一応治癒したもので皮膚の機能の障害除去には今後相当の時間を待つ外なく、証人白壁武弥の証言によれば、将来有効な整形手術が可能としてもその限度並に費用を見積ることは現在不可能と認められるから、この部分の請求は是認し難い。

(四)  次に慰藉料の請求につき考えるに、原告の写真であること当事者間に争いのない検甲第一乃至第五号証、前顕甲第三、第五号証、証人白壁武弥の証言及び原告法定代理人本人尋問の結果を綜合すると、原告は前認定のような傷害をうけ、これは一応の治癒をみたが、右側頭部に長さ約十五糎の禿を、又前額部に約二糎、右耳前部に約一糎五粍、右頬部に「く」の字型約五糎の各不規則な傷痕をのこし、殊に右頬部のそれは貫通挫創であつたため陥没して著しく容貌を損い、将来整形手術をしても右傷痕を全く除去することは望み難く、女性たる原告が結婚適齢期に達した暁においてもこれが結婚の大きな障碍になるものと認められ、その受くべき精神的苦痛の多大であることは十分察することができ、被告はこれの賠償をなすべき義務のあることは明らかである。しかして原告法定代理人井上吉隆本人尋問の結果によれば原告の父は大阪市北区梅田に店舖を構え、九州に出張所を設けて既製服製造卸業を営んでいる事実が認められ、この事実と原告の年令、被告会社の目的に関する当事者間に争いのない事実、及び本件事故の態様、被害の程度に関する前認定の事実等諸般の事情が慰藉料額の決定に参酌される。

(五)  ところで被告は過失相殺を主張するので按ずるに、証人福永恵子、大場カツ、百合野月枝の各証言及び原告法定代理人井上吉隆尋問の結果によれば、原告の父井上吉隆は肩書の住居の外に大阪市北区梅田四番地に店舖を構えており、原告の母は病弱であるので、原告の祖母大場カツ及び女中の福永恵子百合野月枝の三名が子守として原告の監護に当つていたものであるところ、事故発生当時原告の母は屋内に居り、大場カツは自動車は当分発車しないものと速断して食事の用意をし百合野月枝は玄関の掃除をしており、福永惠子が玄関の間で裁縫をしながら原告を見守つているうちに事故が突発した事実を認めうるが、学令にも達しない満五才の幼児が比較的交通量が少いとはいえ自動車は通行可能な道路上においてしかも駐車中の自動車の直前で遊んでいるのを、自動車は当分発車しないと速断して差止めもせず、三人も子守がいるのに側で監督することもなく放置し、僅かに福永が屋内から仕事の傍ら見守つていた間隙に右事故が生じたのであるから右子守等も亦不注意の責を免れないというの外なく、法定の監督義務者たる原告の父母も単に子守をつけていたという一事をもつてしてはいまだ監督義務を尽したとはいゝがたく、子守の選任監督にも行届かない点があつたことを窺知しうるから、原告の監督義務者にも過失があつたといわざるをえない。

尤も本件の被害者たる原告自身はその行為の責任を弁識するに足る知能を備えない幼児であるから過失を問うことはできないが、民法第七百二十二条第二項の過失相殺の法理は損害の公平な分担の理念に基き、被害者側の不注意が競合して損害の発生拡大を助成している場合に賠償額を定めるにつきこれを斟酌して公平を計るものであるから、同条項にいわゆる「被害者」とは損害賠償請求権者たる原告自身に限らずひろく被害者側と解するを相当とし、本件の如く未成年者たる原告が被告から損害の賠償をなさしめるによりその監督義務者たる父母が原告の為に損害の補填を免れる場合には、監督義務者の過失をひろく被害者側の過失として事故責任者の賠償額を定めるにつき斟酌しうるとするのが公平の理念に合するというべきである。

(六)  そこで本件につき前認定の諸事実に原告側の右過失をあわせ考慮して原告の財産上及精神上の損害を償うに足る額はあわせて金四十五万円を以て相当と認める。

四、以上のところから被告は原告に対し金四十五万円を支払う義務があること明らかであるから、原告の請求は右の限度において正当として認容し、その余は失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 藤城虎雄 松浦豊久 藤井正雄)

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